龍光寺の沿革
HISTORY OF RYOKO-JI
室町時代、応永30年(1423)正月、称光天皇の勅により伊勢国司・北畠満雅を開基として国家安泰を祈願する為に創建された勅願寺です。
毎年3月のお釈迦様のご命日(15日)前に「伊勢路に春を呼ぶまつり」と謳われる『寝釈迦まつり』(涅槃会)が催され、寺宝展の他、街には屋台や植木市など約200店が並び参拝に訪れる多くの善男善女で賑わいます。
伊勢路に春を呼ぶ
寝釈迦まつり
(涅槃会)
NEJAKA MATSURI
伊勢地方北勢最大級のお祭りといわれ、例年お釈迦様のご命日(涅槃会)の3月15日前の土日を中心に3日間行われます。
当寺の大本山東福寺の画僧・吉山明兆(兆殿司)が描いたといわれる畳にして16畳敷きの『大涅槃図』には、魔物として扱われ涅槃図に描くことを許されなかった猫が描かれており、当時大きな問題になったことから龍光寺の涅槃会が有名になったといわれています。
まつりの3日間は、本堂での「絵解き法話」を始め、三重県文化財「銅造阿弥陀如来立像(鎌倉後期)」、同県文化財「書院 『坐忘亭』(神戸藩本多氏初代忠統公の書院)、鈴鹿市指定文化財「木造阿弥陀如来立像(平安後期)」、豊臣秀吉、並び徳川歴代将軍からの朱印状や朱印籠などの寺宝が公開され、参道や街には約200店舗の露店、植木市などが並び賑わいます。