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現在の本堂は、火災や震災の難を経て明治13(1880)年、39代潜溪令濟和尚が建立しました。天井には當山の40代法山文荷和尚作の縦2.5軒・横10間、畳にして50畳敷きの「大雲龍図」が描かれています。御本尊は「釈迦如来座像」、脇侍は「迦葉尊者」と「阿南尊者」です。
仁峰和尚の遺願に応じ、1967年に42代宗峰和尚が名古屋から移築したものです。以前の詳細は不明ですが中央には織田家の家紋があり、その由緒を感じさせます。 平成27年、伊勢の建設会社・扇光建築の中西光雄氏が当山の寝釈迦まつりに参拝し、宗峰和尚に金剛力士像(仁王)の寄進を申し出、高さ3メートルの金剛力士像一対を自ら制作しました。しかし平成29年12月31日に宗峰和尚が遷化、平成30年(2018)11月29日、師の一周忌に併せ山門に安置されました。
明治29(1986)年、39代潜溪令濟和尚の代に建立されました。元の書院は昭和47(1973)年に焼失し、現在は三重県文化財の「坐忘亭」が建てられています。
元熊本城主の細川家の江戸屋敷にありましたが、細川家がお家お取り潰しの危機に遭った時、時の幕府の若年寄本田忠統公(神戸本田家初代)に救われ、その恩に報いるための礼の一つとして贈られた数寄屋風書院です。(1973年に三重県文化財に指定) 後に42代宗峰和尚が引き取り移築復元、焼失した書院の跡池に1976年に落成しました。現在は当山に伝わる茶道 珠光流を主に年に数回茶会が開かれます。
当山には龍光寺及び地域の鎮守として「荼枳尼天」が祀られています。 荼枳尼天は霊験が強く、厄除け、金運招福、開運出世、商売繁盛、事業興隆、交通安全、恋愛成就、安産祈願、病気平癒、合格祈願他、どんな願いもかなえて下さると言われます。また織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の他、多くの武将が信仰し、特に大岡越前守忠相は豊川稲荷から江戸の下屋敷に荼枳尼天を勧請して祀るほど信仰が篤かったことは有名です。 御祈祷は予約制でいつでも受けられますが、特に3月の『初午』と『寝釈迦まつり』の間は朝から夕方までいつでも御祈祷を受けられ、市外からも多くの方が各祈願の御祈祷に来られます。 御堂は安政2年(1855)に本堂として建立されたものですが、後に現在の本堂が再建され41代仁峰和尚が三河の豊川稲荷から荼枳尼天を勧請し「伊勢豊川稲荷」として祀られました。
1816年に36代大拙禅師が新営されたもので、鐘楼の扁額には『吼月』と書かれています。大晦日には多くの方々が除夜の鐘を撞きに来られ新年を迎えます。